小橋康章
創造的思考とは思考の特別な種類をいうわけではない.それは創造的な仕事に従事している際の思考のありかたや効果の特徴をいう.
思考のありかたは人間のこころ,あるいは脳における情報処理によっても特徴づけられるだろうし,同時にこころがからだを通して働きかけている相手である環境の性質によっても特徴づけられる.
ひとくちに創造的な仕事といっても,さまざまな規模と種類のものがある.さらに創造性の評価の視点も複数存在する.
最近の研究では,創造的思考と通常の思考の間に質的な違いはないという結論に達しつつあるとも言われている(高野, 1994).思考をもっぱら個人の頭の中で行われる表象の操作であると考えているかぎりは,その操作の形式がほかの思考と違う特徴をもつような,創造的思考という特別な思考を見いだすことは難しいかもしれない.ところが一方,Gardner(1993)は論理数学的知能,言語的知能,視覚空間的知能,音楽的知能,身体運動的知能など複数の種類の知能に対応した複数の創造性を想定している.
そこで若干の歴史的な考察を除いては創造的思考についての一般的な言明は避け,なんらかの意味で創造的な仕事の運営の仕方を改善し認知的産出物の創造性を高めようという個別的具体的な発想支援について検討したい.
創造性(creativity)についての関心は決して新しいものではない.質の高い知識を獲得する方法の探求は,ギリシャ時代にはじまる問題解決や真理発見の方法論にまで遡ることができるという.独創的な作品を創り出す詩人や芸術家,技術者,科学者の能力についてはその後もさまざまな著者が論じているし(市川,1944,1960; 高松; 1992; 池田,1993; 高橋,1993),そうした能力を技法に翻訳して教示可能なものにしようとする試みは今日に到るまで続いている.創造性や創造的思考,そして発想技法はこのように古くて新しいテーマだということができる.心理学者もさまざまな角度から創造性に関心をもってきた(穐山,1964; 恩田ほか,1964; 多湖・東,1970;トーランス,1981; Mayer,1992; Finke et al., 1992; Gardner, 1993).
これまで創造的思考に関する議論の多くは,創造的思考をなにかそれとは別のタイプの思考と比較対照させることで,その意味や意義を明らかにしようとしており,それ自体のプロセスやメカニズムが心理学的に詳しく解明されているとはいい難い.
創造的思考はたとえば
もともと発散的思考と収束的思考とを区別したのはギルフォード(Guilford,J.P)である.知的能力のモデルを研究する中でギルフォードは多くのテストを工夫した.たとえばいわゆる煉瓦テストがある.これは煉瓦の変わった使い途を一定時間内にできるだけたくさん考えよというものである.テストの結果をもとに因子分析をおこない,ギルフォードは創造性の因子として次の6つをとりだした:
さらにギルフォードはただ1つの正答を導くような思考である収束的思考と,多くの解決策を発想する発散的思考を区別したのである.
こうした理解に基づいて,とくにそれまでの知能検査では発散的思考の能力をとらえきれないとの認識から様々な創造的思考能力の検査が生まれた.
一方で,創造的思考の訓練法の発生は,創造的思考や問題解決の能力が実は技能として教えることができるものだという,能力の測定と選抜とは異なる発想を示している.1930年代以降,米国では産業界の人々,すなわち技術者や会社員,工業デザイナなどを対象に,創造性開発の研修が行なわれ,そのノウハウはわが国にも輸入された.こうした研修プログラムを最初に実施したのは,後出の属性列挙法という発想技法を開発したクローフォードで,1931年のことだったといわれる.ブレインストーミング,チェックリスト法など,次節で紹介する発想技法の多くは,こうした研修プログラムと結びついて普及したものである.
創造性開発訓練は効果があるのだろうか.この問題は次節の発想技法そのものの効果と関連してくるので,詳しくはそちらにゆずるが,Mayer (1992)は30年代から80年代にいたる創造性開発プログラムを展望して,汎用の訓練に否定的な結論を下している.汎用の創造性が訓練によって獲得できるという主張が初期のプログラムには強かったにもかかわらず,実際に訓練で獲得されるのは研修の中で用いられたのと同種の課題に対して有効な要素技能であったという.汎用の創造的思考を前提とする創造性開発訓練への疑問は,今日ひろく受け入れられている有能さの領域固有性(domain specificity)の仮説を考えあわせたときいっそう強まらざるをえない.
あらかじめ内容が固定された汎用の創造的思考能力の獲得を目標としていた創造性開発訓練に新しい意味を与えることはできる.なんらかのてだてによって,わたしたちの「考えるという行為」あるいは「考えるということを含む行為」をより創造的にできると期待することに不都合はないだろう.こうしたてだてを沢山用意しておけば,さまざまな問題状況,すなわち創造性を要求する状況におかれたとき,一つくらいは与えられた問題状況にマッチした手だてがあるのではないか,というわけである.考えるという行為をより創造的にする試みを発想支援と呼ぶことにする.
こうしたてだてをルールとして体系的に記述し学びやすくしたものを 発想技法と呼び,技法を物理的に体現する道具を 発想支援システムということにする.典型的には発想支援システムはコンピュータを中心にしたシステムとして実現される.文章を書いたり,図を使ったり,記憶を呼び起こしたりすることは創造的に考えるための条件だといってよいだろうが,これらの行為を実行するうえでの人間の認知的な制限をコンピュータの記憶装置や出力画像などを用いて軽減することができる.発想支援システムを利用することによって,利用者はルールを意識的に実行しなくてもおおむねある技法に則った考え方をすることになる.
これまでに考案された発想技法は300種以上あると言われる(高橋,1993).たとえば高橋(1993),星野(1989),アダムス(1983)はそれぞれ数十の技法を紹介している.このほか,さまざまな著者が自分の発見あるいは開発したアイデア生成の方法や,独創性を促進する生活習慣や態度,ものの考え方を発表している(たとえば,糸川,1984; ヤング,1988; 野口,1993).
これらのうちどれがどのくらい利用されているか正確にはわからないが,わが国の企業を対象に行なわれた創造性の教育訓練に関する調査の結果によれば,企業の研修でよく教えられている発想技法はブレインストーミング,KJ法,チェックリスト法,属性列挙法,NM法(中山,1967)などであり(高橋,1993),このほかノミナルグループ手法なども文献にしばしばとりあげられている.
(1)ブレインストーミング
グループ討議のなかで新しいアイデアが提示されたとき,それが充分育たないうちに批判してしまうと批判の対象になったアイデアが消滅してしまうだけでなく,それを改善したり,それからヒントを得て生まれたかもしれない他のアイデアまであらかじめ排除することになる.1940年代からオズボーンはアイデアの生成の段階とアイデアの批判的評価の段階とを明確に分離した会議の方法であるブレインストーミングを開発した.その中心的な活動は「判断保留」を最も重要な原則とするアイデア生成である.ブレインストーミングは以下の原則で要約することができる:
批判は自分自身のアイデアに対してさえも禁止される.これは,評価的な判断は創造的プロセスにおいても必要だが,問題解決の初期の段階ではアイデアが自由に発展することが許されるべきだという考えに基づいている.実施後,生成したアイデアはリストにして一つ一つ検討する.
(2)ノミナルグループ手法
デルベックとファン・デン・フェンの2人が開発したグループ討議の方法で,ブレインストーミングの改良型と考えることもできる.5つのステップから成る:
(3)KJ法
川喜田(K)二郎(J)の発想法として知られている(川喜田,1964,1967).大量かつ多様な質的データを総合的に把握する過程で新しいアイデアを得ようとするもので,個人でもグループでも実施することができる.
次のようなステップから成っている:
情報の取材の段階でブレインストーミングを実施することもある.このKJ法については第4節で詳しく論じる.
(4)チェックリスト法
一般にチェックリストは,何事かを実施するとき抜け落ちがないように,リスト中の項目をひとつづつチェックし,確認していくための一覧表である.
発想技法としてのチェックリスト法は新しい発想を見つけるために,さまざまな視点を切り替えるために使われる.オズボーンのチェックリストとして知られるものは次の9項目からなっている:
(5)属性列挙法
新しい商品を企画する際に,その商品がもつべき性格や特徴,すなわち属性をすべて列挙し,そのそれぞれを検討することによってアイデアを発想しようという方法である.米国のクローフォードが開発した.
発想技法を物理的に体現する道具を発想支援システムと呼ぶとしたが,既存の発想技法を体現した道具に限ることはないので,もう少し広く発想を支援する道具一般を視野に入れることにすると,Young(折原,1993)や原田(1991)にならい,創造的な仕事における人間と道具の作業分担の範囲に基づいて,3種の発想支援システムに分類するのがわかりやすい.その場合もわれわれの関心の焦点は(2)の「『枠組』レベル」にある.Youngの三分法の真意もこのレベルの有用性を強調するところにあったらしい(Young,1994, personal communication)
(1)「秘書」レベルの発想支援システム
道具がユーザの雑用を引き受けることによって,ユーザにはより創造的な仕事に集中してもらうことを「秘書」レベルの発想支援と呼ぶことができる.典型的にはワードプロセッサ, ハイパーメディア ,データベース, グループウェア などがこのレベルに属する(折原,1993).
(2)「枠組」レベルの発想支援システム
ユーザが創造的に考える枠組みを与えたり,そのプロセスを誘導する.これが狭い意味での,すなわち発想技法を体現する道具としての発想支援システムであろう.折原(1993)は アウトライン・プロセッサ ,KJ法支援ツール, 知識獲得支援ツール などをこのレベルの支援システムの実例としてあげている.このほか論文やスピーチの原稿書きを支援する Thoughtline(奥出,1990)のようなソフトウェアもここに分類できる.
(3)「生成」レベルの発想支援システム
システムがアイデアの生成そのものをシミュレーション的に実施することでユーザを手伝うものである.
例)
a.アイデアフィッシャー: 目的,アイデア,結果を定義したり,明瞭化,修正,評価するのに役立つ300以上の質問を蓄えたデータベースを蓄えており,ユーザ自身が質問をつけ加えることもできる.アイデア・バンクに28個の主カテゴリ,387の話題カ テゴリ,60,000以上の語句を蓄えており,参照することができる.
利用手順は次の通り: 1)プログラムの質問に答える形で,問題(要求)を定義しはっきりさせる. 2)ユーザの返答にもとづい て,プログラムがデータベースの中の語句を引き出す. 3)プログラムの提示した語句の中からもっとも可能性があると思われ るものを選択する. 4)ユーザはそれらの語句を比較対照しながらワープロ機能によってアイデアを記録展開できる.
b.メタファ・マシン: 対象物の属性表現の格納にリレーショナル・データベ ースを利用してメタファを生成させる[ 8].
この3種にもうひとつ加えるなら,次のようなカテゴリが考えられる.
(4)「診断・療法」レベルの発想支援システム
適切な場面で適切な支援を与えなければかえって時間や労力を浪費することに もなりかねない.上記の3つに加え,ユーザがどの局面でブロックを受けているのかを診断して,ブロックの種類に見合った支援を提供する工夫はできないだろうか.
はたしてこうした技法や支援システムは効果があるのだろうか.残念ながらこの問いに十分な答えを与えることはできない.
効果がある場合があることは間違いないであろう.これらの技法が何らかの問題を前にして,実用的な必要に応じて工夫されたのだという想像はつく.また,企業をはじめ多くの組織がそのメンバーにこうした技法の研修を受けさせるために多額の費用を負担しており,収益性を旨とする民間企業が効果のないものに投資しているとは考えにくい.
しかし,たとえば「創造力事典」(高橋,1993)はその3分の1以上,150ページにわたる創造力開発技法の記述の中で,それぞれの技法の効果−意図されたものとしてではなく現実の効果−について全く言及していないばかりか,効果の評価や測定の原理についてすら議論をしていない.また,効果が現れないときにどうしたらよいのか,どんな副次的効果が予想されるのか,効果を促進あるいは抑制する条件(小橋,1988, pp.95-98)についても知られていない.そしてこれはこの文献に限っての特殊な現象ではないのである.
ブレインストーミングは例外的に実証的な評価研究が数多く行われている発想技法であるが,その結果は必ずしも肯定的なものではなく,テイラーらがはやくも1958年に4人の個人が個別に作業した場合のほうが一緒に作業した場合と比較してより独創的なアイデアを生成するという,ブレーンストーミングの推進者の主張とは矛盾する発見を発表している(Mayer,1992).ノミナルグループ手法はブレインストーミングの利点を生かしつつこうした欠点を克服する工夫とも考えられ,実証的な研究においては頻繁に比較対象として登場する.最近ではコンピュータ・ネットワークを利用してブレインストーミングやノミナルグループ手法を実施することを可能にするシステムがグループウェアの一種として開発されている.こうした発想技法がシステムの機能の一部に取り込まれているために,システムの開発過程でのシステムの変種間の効果性の比較の一部が,同時に発想技法の効果の比較にもなっているのが興味深い(たとえば,Dennis, et al, 1991)
どんな発想技法も思考プロセスについてのなんらかの理論や仮説を前提にしている.たとえばKJ法は問題解決の方法とチームワークに関する独自の理論の上に成り立っているし(川喜田,1964,1967),NM法は脳の機能のメタファを使って技法の正当化を行なっている(中山,1967).また,最近の発想支援システムは創造的な思考のプロセスにおける区別可能な段階や思考の分類にもとづいて設計されている(國藤,1993).
しかし,こうした技法に効果があるとしても,それは技法の開発者や提唱者が意図し主張するような意味で効果があるという保証はない.言いかえると,背景にある理論が正しいから効果があるとは限らないし,効果があったときには理論が正しかったとは限らないのは,心理療法の効果に関する議論(野田,1993)と同様である.発想支援の正当性を主張するには方法の考案者の意図とその現実の効果を客観的に検討する必要がある.
一つだけ間違いがないのは,発想技法や発想支援システムという形をとることにより,創造的思考の一側面が客観的に検討可能な程度に外在化され,アイデア,アイデア生成プロセス,またそのプロセスの支援が対象化されたため,これらの全てについて比較対照,変形,交換,合成統合,評価などの道が開かれたことである.
後半の2節ではアイデア生成プロセスの制御を伴う実験と実践の事例を少し詳しく検討することにしたい.
創造性の研究を認知心理学的な理論やその実験的な方法と結びつけようとする試みがFinke らの創造的認知(creative cognition)と呼ばれるアプローチである(Finke, et al., 1992 ).このアプローチにおける典型的な実験の一例は次のようなものである.彼らは被験者に15の単純な物体の図(図1)から3つを与え,次に目を閉じてそれらを視覚的なイメージとして思い浮かべ,なにか「面白くて役にたちそうな」物体ができるよう,それらを組み合せるように教示した.とくに創造的であるとか独創的であるようにとの指示は行なわなかった.2分後に結果を紙に描かせ,説明を求めた.そしてこの図と説明を3人の評定者に有用性と独創性の尺度によって独立に評定させた.図2はこうしてできたアイデアの例で,評定者のコンセンサスによって創造的と判定されたものである.
こうした短時間の実験室的な状況のもとでも,被験者が生成したアイデアのうち,個々の条件によって20%から50%をこえるものが有用なアイデアと判定され,さらに全データの5%から15%は創造的(実用的かつ独創的)と判定された.さらに,どんな分野の製品か(家具,工具などのカテゴリで指定する)といった制約条件を被験者が自分で選択した場合と実験者に与えられた場合,また制約が課される前に組み合せのイメージを思い浮かべた場合とそうでない場合など,制約のかけかたによって成績がかなり上下することがわかった.たとえば上記のような視覚的イメージの合成にもとづく発明の場合,制約が厳しいほど創造性は高まるという.表1では下の行ほど条件が実験者によって指定される程度が強まり,従って制約も強くなると考えられるが,創造的なアイデアの割合は増えてゆく.また他人に図として与えられた組み合せイメージでなく自分で実際に心的に組み立てたイメージを解釈したほうが創造的な発明がえられやすいこともFinkeらは発見している.こうした結果のより正確な表現はFinke らの創造的認知のモデルをより詳しく検討するまで待たねばならない.
創造的思考や発想の支援に関心をもつ者にとって,より興味深いのはこうした実験の結果だけでなく,実験の計画と結果の解釈に関わるFinke らの理論的な枠組みであろう.彼らはそれをジェネプロア・モデル(Geneplore model) と呼んでいる(図3).これは彼らが創造に関わる認知のプロセスを生成段階(Generation phase)と探索・解釈段階(Exploration phase)という2つの段階からなるものと考えるところに由来する命名である.
ここで生成段階の諸プロセス,例えば心的合成や心的変形の出力となったり,また探索あるいは解釈の諸プロセスの入力になったりするものは,発明先行構造(Preinventive structures)と呼ばれる心的な表象である.表象といっても少なくとも実験場面では被験者が実験者の教示によって意識的に描き出すもので,外在的な表現,たとえば紙に描かれた図と複雑さや扱いの柔軟性に差はあっても本質的には同じだと考えられている.図中にまとめられているように,発明先行構造は物体の形状だったり,なんらかのカテゴリに属する事例であったり,メンタルモデルだったりする.こうした諸構造は,新奇性,あいまい性などの発明先行属性と呼ばれる属性をもっており,これらの性質が探索と解釈のプロセスに影響を与え,最終的な産出物である発明やアイデアの創造性の程度に影響を与える.創造性の度合いは,実験場面では数人の評定者のコンセンサスで定められるもので,発明先行属性とは別の,独創性,有用性などの評価用属性によって表現されるものとする.生成段階あるいは探索・評価段階において産出物のカテゴリや構成要素などに制約を加えると産出物の質に影響し,その評価は変化することがある.実験者は通常これらの制約を独立変数として操作する.従属変数は被験者の報告する産出物の評価である.
このモデルの用語では前記の実験の結果は次のような原理として表現される:
この実験は創造的認知のアプローチをとりつつ,生成プロセスとして心的合成,また発明先行構造として物体形状を想定したものである.しかし次節で検討する発想技法のKJ法にもこうした原理はある程度あてはまる.
KJ法(図4)のおおよその手続については既に述べたとおりである.ここではなぜKJ法が発想を支援すると言えるのかについてもう少し詳しく検討する.KJ法はカードを用いて情報を操作し,まとめる方法(河合・大見・大岩,1994)とか,カードの並べ変えによって新しい発想をえる方法(野口,1993)と理解されることが多い.またその独特の図解法(図5)によっても知られており,こうした理解に基づいての賛否両論がある(否定的な議論にはたとえば立花(1984)がある).今日のKJ法は技法としてあまりに完成洗練された観があり,また変種も多くあって,それだけその本質が見えにくくなっているのも否定できない.ここでは初期のKJ法に関する文献(川喜田,1964,1967)に立ち戻って,技法が発生した背景やそもそもこの技法は何を可能にするものなのかを考えてみることにしよう.
文化人類学者の川喜田二郎は人文地理学的な研究を行なっていたときに,多様な質的データからどのようにイメージを組み立てたらよいかという問題にしばしば出会った.未知の地域や異民族を調査するときにこうした雑然として多種多様のデータの集積を扱うことは避けられないという.多種多様かつ大量の質的データをもとに何かまとまりのあるイメージを構成することはなんらかの工夫なしには不可能に近い(川喜田,1964,p.158).
ここでイメージを構成するというのは,創造的認知の実験の例で見たような視覚的なイメージを心的に合成することではなく,データを統一的に説明すること,また説明することによって理解することだと思われる.ホランドら(1991,p.104)による帰納プロセスの研究において,仮説的推論では複数の事例に関する知識をまとめるためではなく,説明を生成するために一般化が行われるとしている.説明を可能にする仮説を発見することは創造的な活動といって間違いはないだろう.患者がある病気にかかっていると医師が仮定するのは,それがデータである観察される症状を最もよく説明するからである.このようにデータをまとめることは同質的なデータの要約と分析だけではなく,質的に異なるデータの組み合せから意味を引き出すことである.そのためには医師の場合も研究者の場合も過去に蓄積した理論や事実などの知識が必要であるに違いないが,それだけでは十分でなく,新しい仮説を発生させることが必要になる場合があるわけである.
こうした仮説には質の基準があって,どんな仮説でも同じように望ましいわけではない.ホランドら(1991,p.163)は仮説が(1)他の知識と矛盾しないこと,(2)そこからなるべく多くの説明が行なわれうること,(3)他の仮説と比較してより優れたものであることを基準としてあげている.
ここでは創造的であることは目的ではなく手段である.最終的な産出物の評価ではなく,説明が可能になること自体が創造性の存在を示唆している.この意味での創造性の要因は明らかに研究者の頭の中にだけあるのではなく集められたデータの組み合せにもある.
対象が十分に複雑な場合,なるべく多くのデータを説明するにはよほど巧妙な仮説がなくてはならないが,そうしたものを獲得してから個々のデータを解釈するわけにもいかない.Finke らは物体の形状を構成する要素をいくつか被験者に与え,それを組み合わせて新しい物体を構想させる実験の際,創造的発明,すなわち有用で独創的な発明は,発明に先行する形状が生成されたのちにはじめてその解釈の仕方への制約が与えられ,それに続いて解釈が行なわれた時のほうが実現の可能性が高いとしている.このことと符合するように,この場合の仮説もまず構成してみてからその評価をせざるをえないのである.
川喜田のイメージ組み立ての工夫の第一歩は基本的発想群と呼ぶ質的データの小さなセットを準備することであった.すべてのデータを一度に説明する仮説は容易にえられないが,いくつかのデータならそれが可能である.基本的発想群のデータとは,「これを通覧しているうちに、『こういう問題があるのではないか』というイメージが浮かびやすい、手ごろな複雑度のデータ(川喜田,1964,p.184)」なのである.「個性的で相互に異質なデータの一チームからは、自然に新しい独創的解釈がデータの部分部分の結合の中から暗示される(川喜田,1967,pp.104-105)」というのは発明先行構造としての基本的発想群が創発性,有意味性といった発明先行属性をもっているということであろう.適度な複雑性をもったデータ群を得るために行なわれるのがデータのグルーピングであり,図解化である.「発想を刺戟するような,複雑すぎず単純すぎない一チームのデータの取り出しを可能にする手続が、 ... グループ編成であり,さらに進んでは ... 図解なのであった(川喜田,1967,p.105)」と言われるように,おそらくこの基本的発想群の生成と解釈およびその累積的実行がKJ法の核心をなすものであり,この技法のその他の一切はこれらのプロセスの支援システムではないかと思われる.この章の前の部分(8.2.1(3))で述べた現在のKJ法の第7ステップまでがそれである.このあとの項では第8ステップの「叙述」と第6ステップの平面配置/図解化について述べる.
ジェネプロア・モデルの探索・解釈のプロセスに相当するのはここでは叙述である.それは「基本的発想群が語りかける示唆を、このデータ群の範囲内ですべて表現しつくす」ことであり,口頭でおこなわれても文章化されてもよい.「文章化すると、ときどきわかっていたはずの話がうまくつながらないという経験をする。 ... このように困ったときこそ、じつはその結果新しい発想が飛び出すときなのである(川喜田,1967,p.98)。」ジェネプロア・モデルでは不調和性が創造的な探索と解釈を促進する発明先行構造の属性のひとつだと考えられているが,ここでも対応する観察がみられる.
叙述プロセスは,いくつもの基本的発想群を階層的に表現し,群間の関係を表わした図解を手がかりに実施される.個々の基本的発想群から得られる仮説はそれが累積していくと同時に干渉作用を生じる.干渉作用は以下の4種である(川喜田,1967,p.110): 1)仮説が相矛盾してともに没落してしまう,2)仮説間の関連が薄く干渉作用が発展しない,3)いくつかの仮説が一致してその結果,安定性が獲得される,4)いくつかの仮説が総合されて包括性を獲得し,高次の仮説が発生する.この干渉作用はホランドらの仮説の質の基準を満足させる効果があるものと思われる.
最後に現在ではKJ法の最も顕著な特徴であるように考えられている図解化について見ておこう.データ間に「『どういう意味で関係があるか』ということは、グループ編成の段階では、まだわかっていない。それを、 ... 空間的に配置してみて発見するのである(川喜田,1967,p.82)。」「図解ができあがったときに初めて、いままでばらばらであいまいであった雑多な事柄が、はっきり意味の構造として、『わかった』という感じで訴えてくる(同,p.86)。」このように図解は自分自身や他人がデータ全体を説明する仮説を理解する助けになるが,また図解化の途中で干渉関係が明らかになり,新しい仮説が発生することもある.これはジェネプロア・モデルにおける創発性に相当するであろう.
こうしてみるとKJ法は研究者が異文化や未知の土地を多面的な質的データをもとに理解することを支援する実用的な方法として工夫されたことがわかる.この方法が新しい仮説の生成の支援を含んでいたのは説明を通して理解を深めるための手段であった.データの量と多様性,そして仮説を累積的に発生させその相互関係によって仮説の評価まで実施する認知作業は個人の頭の中の知識や処理を外在化させる必要性を生んだ.こうした工夫を技法として定式化したのはずっと後のことだったという(川喜田,1967,p.55).
いったん外在化された支援は交換性が高く,紙切れに記していたデータを標準化されたカードや糊つきシールに置き換えたり,コンピュータのファイルに置き換えたりできるようになったし,個人の頭の中で行なわれていたときに比べて吟味可能性が高まり(三宅・波多野,1991),方法自体を批判的に検討することができるようになった.さらに他人がこの方法を模倣し学習する可能性も高めたのである.一方,外在的な知識としてKJ法を学ぶ者には技法自体のメンタルモデルを構成し,訂正してゆくという新しい仕事が加わる.
どんな技法でもそうであるようにKJ法も利用者と課題に依存して効果が変動するであろう.企業における創造性教育実施の統計(高橋,1993)が示すように過去30年の間にKJ法は人文地理学的事実の理解という課題分野をはるかにこえて産業界でひろく利用されるようになった.したがってこの技法がなんらかの価値をもっていることは疑いえない.しかし価値があるということと本来の狙いどおりの効果があるということは別である.すべての支援法がそうであるように(小橋,1988),KJ法も本来の目的に対応した主効果の他に望ましいあるいは望ましくない副次効果をもっているであろう.
たとえば,望ましい副次効果としては,こうした技法を学ぶことによって,人は仮に自分自身の発想が豊かにならなくとも,他人の発想の豊かさや独創的なアイデアを認識でき,それを励ますことができるようになるかもしれない.またKJ法に限って言えば,多様なデータをまとめることが容易になるため,現実認識の初期の段階に過度の選択的認知を行なう傾向が弱まるかもしれない.このことは技法の実施者が他人の発言をよく耳を傾けるという副次効果を生み,集団による問題解決の能率を改善するかもしれない.
一方,望ましくない副次効果としては,方法と課題のミスマッチによって理不尽に大きな時間的コストがかかる場合があるかもしれない.例えば,限られた時間内でできるだけ多くの人に発言の機会を与えたい場合,技法の実施に要する時間が発言の時間を縮めることもありうる.また,初めから意見の対立が見込まれているような状況下でKJ法を使おうとすると,技法の利用自体が利用者に有利な方向へ議論を誘導する手段だと受け取られ,反発を招くことがある.しかしこれらは今まであまり問われることのなかった問いであって,こうした効果の変動や副次効果の性質はよく知られていない. 創造的認知アプローチのような実証的な方法をKJ法の吟味にも適用する時期がきているのではないだろうか.
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