Author: Yuri Uesaka(植阪友理), All Rights Reserved
Editor: Yasuaki Kobashi(小橋康章), All Rights Reserved
Date : 2004/02/12 (created)

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『現代建築の冒険』を読んで
―日本建築における独自性は模倣の失敗から始まった―
植阪友理
(東京大学大学院教育学研究科博士課程1年:37015)



 私は本書(越後島,2003a)を読み、著者の講演(越後島,2003b)を聴いて、現代の日本建築とは石橋氏(2003)が指摘した、「模倣しようとしてしきれない時に創造的なものが創出される」という考えの好例ではないかと感じた。なぜならば、コルビュジェという巨匠の作品をまねよう、まねようとしながらも、独自のニーズと独自の背景からコルビュジェそのものにはなりきれず、そのことがかえって日本独自なものを生んでいく過程を描き出していると読み取ったからである。
 通常、模倣することは創造性とは対極にあると考えられがちである。それに対し、石橋氏(2003)は模倣の積極的な面に焦点を当て、創造性を促すということを実証して見せた。実証の仕方には、一般化の問題など今後の研究が待たれるところであるが、「模倣する際の違和感がかえって自己理解をうみ、創造性を高める」という考えは非常に斬新である。こうした斬新な考えをもって本書にあたるとき、本書が描きだしているのは、まさにそうした模倣しきれずに苦しみ、独自なものを生み出している過程だと考えられる。日本建築がコルビュジェの形を取り込んでいくまでに、何人もの著名な建築家と非常に長い時間を要していることからも、独自なものの創出が決して容易なことではないことが同時に感じられる。
 ではなぜ日本ではこうした模倣を通じて独自なものの創出をなしえたのだろうか。越後島氏の講演も踏まえ、少し考察してみたい。越後島氏の講演(2003b)から、巨匠コルビュジェとは、本書で影響力の源として取り上げられているサボア邸にみられるような個々の住宅の設計のみならず、都市計画まで含め、これまでにない新たな構想を持っていた人物であったことが示された。このことから考えると、「日本が受け入れたコルビュジェ」とは、ごく一部のものであったことが分かる。
 しかし、部分的であったとしても日本建築に対する影響力は大きい。また、ともするとかえって部分的であるからこそ独自なものの創出が起こったようにも見える。本稿では、残りの紙面を使い、日本はコルビュジェという存在を部分的にしか取り込めない状況にあったことが、かえって独自なものの創出につながったのではないかという点を指摘したい。
 越後島氏が指摘したように、コルビュジェは巨大な時代の要請を背景に登場してきた巨匠である。越後島氏は、劣悪な住宅事情、計画的な都市づくりの必要性がなければ、コルビュジェが都市計画にまでおよぶマクロな視点は持ち得なかったと捉える。また、時代の要請だけでなく、コルビュジェは当然のことながら、同時代・同地域の思想や価値観を十分に共有していたと考えられる。一方、日本では近代社会になり西欧の文化が多く入ってきた時代であるとはいえ、背景や時代の要請がコルビュジェが感じたそれと同じであるとは考えにくい。つまり、独特の時代背景や価値観に裏付けられて生まれてきたコルビュジェの建築は、日本にとっては、異質のものであったはずである。コルビュジェの元へどんなに留学生がたくさん送り込まれたとしても、こうした根本的な価値観や背景の差は消えなかっただろう。
 しかし、西欧文化を自分たちの中に取り込みたいという日本独自の時代の要請とあいまって、日本では必然的に価値観が異なるまま、部分的な模倣をせざるを得ない状況が生まれた。この状況は一般的に考えると、模倣には適さない。しかしながら、無理をしながらの模倣が、かえって石橋氏(2003)が指摘しているような「違和感」の増大を生み、自らの独自性や、地域独自のニーズを再確認させる結果を生んだのではないか。そしてその結果としてより独自なものの創出につながったのではないかと思われた。
このように、価値観が異なり、模倣を希望しながらも部分的にしか模倣できない状況が、かえって違和感を増大させ、その結果として自己理解を促進させ、創造的な建築の創出につながったのではないかと考えられた。以上が筆者の考える、日本において模倣が独自なものの創出につながるプロセスである。
 最後に、以上の考察から考えられる示唆について述べる。本書には、はじめに述べたように、模倣をすることを通じてかえって独自なものを創出されるプロセスが描かれていると考えられる。しかし、このようなプロセスは建築に限らないだろう。他領域においても影響力の大きい西欧における作品が日本に影響を与えたというケースは多く存在するだろう。また、現在も西欧の(良い意味での)模倣が続いている分野もあると思われる。例えば、心理学もその一つであろう。
 上に述べたことを踏まえて心理学への教訓を考えてみよう。自分自身への自戒もこめて考えると、研究者はデータがこれまでの西欧の文化を中心として得られたものと一致しない場合、非常に苦しむと思われる。特に文化差の影響などが考えにくい普遍的なプロセスについて検討している場合には、この苦しみは大きい。しかし、まねできないこと(例えば、上に上げたデータが先行研究の想定どおりにふるまわないなど)や独自のニーズを、「誤差」であるとか「じゃまするもの」として捉える発想自体が、創造性を阻む敵と考えられる。違いが見られたことを疎ましく思うのではなく、むしろ、こうした違いがみられるのを創造的な研究の好期と捉えるべきである。異なっている部分に気づき、積極的に取り上げていくことも一つの方法ではないかと考えられた。
 以上をまとめると、筆者は本書を「コルビュジェを模倣しようとしながらも、うまく模倣できないことがかえって独自なものを生んだ過程を描いた作品」と捉えた。さらに、日本における模倣も、コルビュジェ全体からみるとそのごく一部でしかなかったことから、思想や時代要請の違いことなり、すべて受け入れる土壌になかったことがかえって自身のニーズや特徴に気づくことをうみ、最終的に日本独自なものの創出につながったと考えた。そしてこうした考察に基づき、現在もなお国外からの成果の影響を大きくうける分野の一つである心理学に対して、違いに目をつぶるのではなく、積極的に考える必要性があるのではないかと考えた。

参考文献等
石橋健太郎・岡田猛,創造過程としてみた「芸術作品の知覚」経験.日本認知科学会2003年冬のシンポジウム「知覚と創造」予稿集,2003, pp.18-26.
越後島研一,「現代建築の冒険:『形』で考える − 日本1930〜2000」(中公新書1724),中央公論新社, 2003a.
越後島研一,進化するネット:建築家ル・コルビュジェの場合.東京大学文学部・同大学院文学研究科集中講義「創造性の認知科学」(12月16日〜19日)における講演, 2003b.


E-mail: yasuaki.kobashi@nifty.ne.jp (小橋康章)

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